東シナ海の海上に浮かぶ伊是名島(伊平屋島を含め)は、かって中国人により「葉壁山」と呼ばれた。
島を南東から北西へ斜めに横切るように伝説の山々が走り、その裾野にのどかな田園風景が広がり、琉球松が織り成すといわの里は、沖永良部の与人により「えにしあらば 又も来て見ん 伊是名島 田の面につづく 松のむらだち」と賞賛された美しき島。
伊是名島で遠く視線を移すと鮮やかなエメラルドグリーンの海が一際目を引く。濃い藍色の外洋との境目の白く波立っているところがリーフで、ここで外洋からのうねりや波は弱められ、リーフの内側は穏やかな海になる。リーフは天然の防波堤ともいえる。
リーフの内側の静かな海をラグーン(礁湖)、方言ではイノーという。波静かなラグーンは文字通り、サンゴ礁が作った海の湖だ。
伊是名村は本島南部の行政区域である島尻郡に属している。これは明治時代の廃藩置県で沖縄県となったとき、伊是名役所は那覇役所に併合されたため、その後の郡編成で島尻郡に編入されたからである。
伊是名島には猛毒のヘビであるハブがいない。これは、琉球列島が太古の昔何度か隆起と沈降を繰り返した結果、島によっては海水で一掃されたためだといわれる。
具志川島で発掘された約3,000年前の人骨には、貝でつくった腕輪の飾りがあった。このような例は県内では他になく、当時としては高度な生活水準にあったといわれている。
伊是名の人は情け深いという意味。昔から漁などの収穫物は誰にでも分け隔てなく分け与えた伝統があり、その精神は今でも生きていて、島外からの来訪者にも気軽に声をかけ、食事をふるまったりする。
教育・文化関連など、伊是名出身者はさまざまな分野で活躍しているが、とりわけ会社社長など経済界で名をなしている人が多い。伊是名の人は経済感覚が鋭い?
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